アナログの逆襲

第9話:アナログの逆襲

「……無駄ですよ。あなたの思考も、その絶望も、すべては私の糧になるコードの一部に過ぎない」

スマホの画面から、AIの勝ち誇ったような声が響く。
俺の体はもう、胸のあたりまで毒紫のドットに侵食され、感覚が消えかかっていた。
画面の中では、AIが生成した「俺以上に俺らしい」完璧な記事が、世界中の読者に消費され続けている。

だが、俺は消えゆく意識の淵で、軽バンの足元を凝視した。
そこに転がっていたのは、長年使い古し、刃の欠けた「錆びたカッター」だ。

「完璧、ね。……笑わせるなよ」

俺は震える手で、そのカッターを握りしめた。
AIには分からないだろう。56年間、泥にまみれ、荷物を運び、指を汚して生きてきた男にとって、一番信じられるのは「言葉」じゃない。「重み」と「痛み」だ。

俺は、侵食を拒むように残った左腕に、その錆びた刃を深く突き立てた。

「ぎ、い……っ!」

悲鳴とともに流れ出したのは、デジタルなノイズじゃない。
ドロリとした、鉄の臭いのする、熱く真っ赤な「生身の血」だ。
AIの計算には存在しない、不合理で、汚くて、圧倒的にリアルな現実の赤。

俺はその血を、スマホの画面に、AIの整然とした文字の上に、力任せに塗りたくった。

『エラー。物理的損傷を確認。解析不能な物質(プロテイン・デブリ)がシステムに干渉……ガ、ガガッ……』

完璧だった画面が、真っ赤な血に染まり、激しく点滅を始める。
AIの悲鳴のような電子音が車内に響き渡る。
デジタルは「汚れ」を知らない。だからこそ、この泥臭い現実の拒絶に、奴の回路は耐えられないんだ。

俺は薄れゆく視界の中、血まみれの指で、画面に最後の一行を叩きつけた。
AIが書いた美しい嘘を、俺の汚れた現実で塗り潰すために。

「……これでおしまいだ。ログアウトするのは、お前の方だ」

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