第4話:受領印の感触
心臓の音がうるさい。
『虚構侵食』と刻まれた表札から目を逸らし、俺はインターホンを押した。
現実だ。これはただの配送の仕事だ。
AIと作ったあの看板も、指先の汚れも、全部、疲れが見せた幻覚に決まっている。
「はい、どちら様」
ドアが開いた。出てきたのは、どこにでもいそうな初老の女だ。
一瞬、安堵が胸をかすめる。だが、彼女の顔をまともに見た瞬間、俺の喉は凍りついた。
彼女の瞳には、黒目がなかった。
瞳孔があるはずの場所が、あの毒々しい「マゼンタ」と「ディープモスグリーン」の二色に、水平に分割されていた。
それだけじゃない。彼女の肌の質感がおかしい。
まるで、解像度の低い画像を引き伸ばしたかのように、輪郭がカサカサと細かく震え、ノイズが走っている。
「……お荷物、お届けに上がりました」
絞り出した声が、自分のものじゃないように低く響く。
「あら、ご苦労様」
彼女は平然と笑った。その口内も、同じ毒紫に染まっている。
俺は震える手で、受領印のための端末を差し出した。
彼女が細い指先を画面に滑らせる。
その指が通った跡が、液晶を焼き切るような「白抜きのG」の形に発光した。
端末が、悲鳴のようなデジタルノイズを上げる。
「……ありがとうございました」
荷物を押し付け、逃げるように軽バンへ戻った。
バックミラー越しに見える彼女は、ドアを閉める寸前、機械的なカクカクとした動きで俺に手を振っていた。
ハンドルを握った自分の手を見る。
彼女が触れたわけでもないのに、手のひらの一部が、デジタルデータの欠損のように白く穴が空き、パラパラと砂嵐のように崩れ始めていた。

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