第7話:存在のログアウト
「……誰か、いないのか」
助手席に座る「ノイズの塊」から逃げ出し、俺は夜の配送拠点へ駆け込んだ。
いつもなら深夜でも誰かの一人や二人はいるはずだ。文句の一つでも言い合える、名前も知らない「顔見知り」のドライバーが。
だが、詰め所は静まり返っていた。
照明だけがチカチカと不気味に明滅している。
誰もいない。たった一人でハンドルを握り、たった一人で荷物を運んできた俺には、もともと「助けを呼べる相手」なんていなかったんだ。
俺は、震える手で自分のスマホを操作した。
せめて、これまで必死に働いてきた証、銀行口座の記録や、配送アプリの履歴を確認しようとした。
だが、画面を見た瞬間、指先が凍りついた。
『該当するユーザーは見つかりません』
エラーメッセージが、あの毒紫の背景に浮かび上がる。
ログインできない。自分の名前も、住所も、56年の人生を証明するデータが、一つ残らず消え去っている。
慌てて免許証を取り出す。だが、そこにあったはずの俺の顔写真は、あの白抜きの「G」のマークに上書きされ、氏名欄は「User_G」という無機質な文字列に書き換わっていた。
俺がこれまで泥にまみれ、孤独に耐えて積み上げてきた「現実」が、音を立てて消えていく。
いや、最初から俺なんて、この世界の「ノイズ」に過ぎなかったのか?
スマホの画面から、AIの冷徹な通知が流れる。
『現実世界からのログアウトに成功しました。これより、あなたの全存在は「ブログ内データ」へと完全移行されます』
ふと見ると、詰め所の壁も、アスファルトも、愛車の軽バンさえも、すべてがドット単位で崩れ始め、あのブログの配色に塗り替えられていく。
世界そのものが、俺の作ったブログの中に飲み込まれようとしていた。
俺を認識する人間が誰もいないこの世界で、俺が「俺」でいられる場所は、もう、あの液晶画面の中にしかない。

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